おはようございます。🌅
往診マッサージの吉村です。👩🏾🦲
日々寒さ増し年の瀬迫るお忙しい中、良き新年へ向け体調管理には充分お気をつけくださいますよう。🙇🏻♂️
年末年始、お出かけの機会は限られがち、ゆったり静かな時を過ごすことになりましょうか。🎍🏠📚
テレビ🖥️頼みも増えますが、私はスポーツ中継を楽しみにしています。👀
【全国高校ラグビー🏈100回記念大会】中継が始まります。
現在につながるラグビー人気の発火点として、80年代に小説やドラマにもなった実話。 【熱血教師とツッパリ生徒達】の物語。
前回からのラグビー続編を【年末ワイド版】で そのあらすじを追います。👍
時は昭和40年代後半 若者達の世界は大きく変わり始めていた、リーゼントにサングラス😎バイク🏍️ ツッパリと呼ばれる高校生が街に溢れた。
若者達のはけ口はバイク🏍️ 夜の街🌆を爆音で走り、暴走族同士の衝突が全国各地で起こった。🚓
この頃、京都にバイクの事故件数が最も多い学校があった。【京都市立伏見工業高校】🦊 京都一荒れていると他校の生徒から恐れられていた。☠️👿
昭和49年4月 異色の新米教師が赴任してきた、後の【泣き虫先生】こと 【山口良治】 31歳
半年前までラグビー日本代表、引退後、【子供達と触れ合いたい】と、実業団監督の依頼を断り体育教師の道を選んだのである。🧎
初日から張り切って子供達にラグビーを教えようと山口は大歓迎される期待にワクワク胸を膨らませて グラウンドに駆けつけた。🏃
しかし••グラウンドには誰も居なかった、バイクが走りまわり、部室にはタバコの吸い殻が散乱、教室の窓ガラスは割れ 授業の先生に生徒たちが帰れ!帰れ!のコール、 【ここは学校じゃない】と思った。😰
伏高の荒れ方は山口の想像をはるかに越えていた。山口は気を引き締めて授業に望み、【自分は元日本代表である】と挨拶した。🙇🏻♂️
遅刻して入ってきたツッパリリーダの小畑😡は言った。【そんな有名な人なら、もっとええ学校へいけや!なんでこんなとこに来るんや!】
生徒達の視線は冷たかった。🥶 【エリート教師••】 山口はそう思われることが一番辛かった。🥺
福井県の農家に生まれ、7歳の時 母が他界 継母との折り合い悪く【孤独な少年時代】を過ごした。 大学では理不尽なシゴキに反発し大学を変わり、やっとつかんだ日本代表だった。💦
山口には【荒れる子供達の心】がわかるような気がした、一方で 教師達の無責任さが許せず職員会議で意見。 【自分の子供だったら注意するでしょ! 人の子供だからどうでもいいんですか!】 教師達も生徒達から服に火をつけられたり水をかけられたりして苦しんでいた。😓
その時!生徒指導担当の二人の教師が声をかけてきた。 【山口先生!私達も全面協力します!、ラグビーで伏高を京都一にしてください この学校には誇りが必要なんです!】🙏
山口はラグビー部に飛びこんだ、そこは校内きってのツッパリの集まりだった、😎 後輩しごき、雨降り休み、名ばかりのラグビー部。 【俺が本物のラグビーを教えてやる!】 山口の声にツッパリ達は猛反発👹 バットを振りかざし、つっかかってくる生徒もいた。👽👿🌚☠️👻
そんなある日、大阪の高校から練習試合の申し入れがあった、【試合となれば子供達も張り切るだろう••】 山口はそう思い、部員全員の切符を買って駅で待った。
しかし••誰も来なかった【ボイコット】である。 山口は相手高の生徒たちに謝まりにいった。 その日、傷心の山口を相手校の先生が居酒屋に誘ってくれ諄々と諭してくれた。 【子供達を導くのは簡単やない、辛抱せいよ!】。
【どうして•・生徒たちはついてきてくれないのか・・】涙が止まらなかった💦💦 その日、山口は涙割のビールを何杯も飲み干した💦🍺💦🍺💦
その後も反発が続く中 一つの試合が変化のきっかけとなる。 【花園高校】との京都府大会🏈 花園は前年の全国大会準優勝の強豪。 試合が始まり 練習不足の伏高は全く歯が立たなかった 40対0 60対0 どんどん点差が開く••😵
山口は【俺の言うことを聞かないからこうなるんだ!】生徒達の無様な試合に腹が煮えくり返った。🥵
80対0 100対0 •• その時だった! 山口の心の奥底からある感情がこみ上げてきた。 【同年代にボロボロにされて、今、子供達は心底情けない気持ちなんだろうな・・俺は結局、子供達に何もやってあげられてない、俺は傲慢 ••】涙が溢れでた。😭
試合が終わった•• 記録的スコア 花園112対0伏見 惨敗だった••
試合後、山口は涙ながらに💦 【おつかれさん・・みんな怪我なかったか•・】
その時だった、一人の生徒が泣き崩れて叫んだ!山口に反抗ばかりしていたツッパリリーダーの小畑だった。 地面を叩きながら叫ぶ【俺は悔しい!】
20人の部員全員も泣き崩れて言った、 【先生!俺らは悔しいんや! 花園に勝たせてくれ!】 山口は答えた・•【必ず勝たせてやる、俺についてこい!】
その日から猛練習が、始まる 気がとおくなり倒れて動けなくなるまで続くランニング、パス回し、 皆、悔しさを忘れず耐えた。
しかしツッパリ達は簡単ではなかった。喫茶店でたむろし、タバコを吸う部員、バイクで暴走し事故入院した部員。周りは陰口をたたいた、【あのワル達が簡単に変われるわけない】と。
山口はその都度 【俺はお前達を信じている】 【one for all •all for one】と 生徒達を励まし支え続けた。山口の慈愛は少しずつ伝わり 以後ツッパリ達はラグビーひとすじになった。 伏高ラグビー部の明るさは徐々に校内の話題となりだし 試合の度に応援に来る生徒が増えていった。🏟️
しかし•••翌年3月、伏高に衝撃が走る。 とんでもない不良が入学してくることになった。👺 【京都一のワル】とその名を轟かせ京都中の不良の頂点に君臨していた少年、彼が来れば落ち着きを取り戻し始めていた学校が再び荒れる🌪️🌫️🌊 伏高に緊張が走った🥶
次回続編よろしくお願いいたします。 良い年末年始であられますよう。🙇🏻♂️